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大和撫子・若林愛の戯れ言

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【大正浪漫】



前回から引き続き、白蓮の話題です♪
゜+。(*′∇`)。+゜

柳原白蓮の短歌を少しだけですが読みました。
彼女の歌集がほしくなっちゃいましたよぉ…。

興味を抱いたら、兎に角知りたくなるんですよね、アタシって…。

「これが私の悪い癖(相棒の杉下右京さん風に♪(笑))」

白蓮さんの画像をググってみると、少し陰のある細面の別嬪な女性♪

竹久夢二の絵画のモデルになってそうな感じの、美人というより『麗人』という言葉がピッタリです。

…アタシとはまるで正反対じゃー(笑)。
(´ψψ`)ププッ

彼女の短歌は、凄くわかりやすいし、彼女がその歌を詠んだ時のトキメキや情熱、辛さや悲しみ、苦しさ等々の心情の変化が、ダイレクトに伝わってきます。
2度目の結婚は政略結婚だったし(最初の結婚も華族であるがための政略結婚状態でしたが)、お金は余る程あっても愛を感じられない結婚生活だったのが、その頃に詠んだ歌を読んでても、ひしひしと伝わって来ます…。

彼女は裕福でも空虚な生活より、溢れる程の愛がある人生を突き進みました。

駆け落ちした帝大の男性、宮崎龍介との激しい恋に進んでゆく頃の歌もまた、恋心が胸キュンになります。

そんでもって、白蓮の歌をカキコしますね~♪
♪(*´∀`)ノ


14歳の時に最初の結婚をして、男子を出産したのち離婚した頃の歌。

『ことさらに
黒の花などかざしみる わが十六の
なみだの日記』


2度目の結婚をして、九州での生活をしている頃、二人には愛もなく、夫の女性関係にも辟易とする毎日…。その苦悩の生活を歌に託し、歌集を自費出版した頃の歌。

『わが魂(たま)は
吾に背きて
面(おも)見せず
昨日も今日も
寂しき日かな』

『われは此処に
神はいづくに
ましますや
星のまたたき
寂しき夜なり』

『おとなしく
身をまかせつる
幾年は
親を恨みし
反逆者ぞ』

『われといふ
小さきものを
天地(あめつち)の
中に生みける
不可思議おもふ』


その後、豪邸の赤銅御殿に色々な人を招き入れサロンとして過ごす。歌人としても有名になっていった頃の歌。

『わだつみの沖に 火燃ゆる火の国に
我あり誰(た)ぞや
思はれ人は』

『我歌のよきもあしきも のたまはぬ
歌知らぬ君に
何を語らむ』


そして龍介と恋に落ちた頃の歌。

『月影はわが手の上と
教えられ
さびしきことの
すずろ極まる』

『君故に死も怖るまじ
かくいふは
魔性の人か
神の言葉か』


晩年は緑内障になり、失明してしまいます。

辞世の句がこれです…。

『そこひなき
闇にかがやく
星のごと
われの命を
わがうちに見つ』

失明して、全く光の無い真っ暗な闇の中で生きる白蓮の心の中は、どれだけ不安で苦しかったことでしょうか…。
その闇の中に輝いていたのは、自分自身の命だったのかもしれません…。

柳原白蓮
昭和42年 2月22日逝去。
享年 82歳


…とゆー訳で、昨日に引き続き白蓮の話でしたぁ♪♪
ヽ(´▽`)/

でわでわ、またお会いしましょう♪


若林愛でした♪
(=ΦωΦ=)ノ

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