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大和撫子・若林愛の戯れ言

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富岡製糸場



群馬県の富岡製糸場が、世界文化遺産に登録される事になりましたね。
♪ヽ(´∀`)/

ゴールデンウィーク期間中は富岡市周辺は観光客で賑わうことかと…。
…アタシは富岡製糸場の場所が群馬県のどの辺りなのか、調べるまで知りませんでした(笑)。
(*´∇`)

アタシは富岡製糸場に行った事がありません。
群馬県といえば、『草津温泉』と『BOOWY』の出身地としか思いつかない位だったもので…。
( ̄ω ̄;)

草津温泉はいいですよ~♪(≧∇≦)
何度か行きましたが、温泉街の雰囲気が好き。
散策してたら、必ず温泉饅頭の試食がもらえます。
(^q^)

そーんな訳で、無知のアタシは、とりあえず富岡製糸場について、ちょっぴり調べてみようと思いました♪
(。・ω・。)

明治の頃の製糸業と聴けば、『あぁ、野麦峠』等に代表される『女工哀史』の世界を思い出してしまいますよねぇ…。
(´;ω;`)

過酷な労働条件で休みも月に2日程度、ろくな食事も食べられずに低賃金で長時間の労働…。
ρ(・・、)

そんなイメージしかなかったんですが、色々調べてみると、そればかりでは無かった事がわかりました。
(*´∇`)

富岡製糸場が出来た当初は、官営として運営されてました。
官営だった頃は、女工さんは地位を失った士族の娘さんを始め、身分も関係無く全国から集まったそうで、待遇も良くて、日曜日は休日。労働時間も1日八時間程度でした。
お化粧は身だしなみ♪として、そういったお洒落も推奨されたそうです。
(o⌒∇⌒o)

ですが、官営として運営された時期は富岡製糸場の歴史の中でも、それほど長くは続きませんでした。

官営=採算度外視=赤字経営
とゆーのが何だかアタマに浮かびますよね~。

結局、数十年で民営化されてしまいました。
民営になれば、勿論企業は利益を出さなければなりません。官営だった頃は、待遇は恵まれてましたが、民営化されてからは、まさに女工哀史の様な労働を強いられのでしょうね…。
( TДT)

ただ、その彼女達の労働力が、明治の日本の産業革命の始まりだったのであろうかと、アタシなりに解釈しております…。
(´-ω-`)

そういった歴史の中には出てこない、名前もわからないたくさんの日本人のお陰で、今の日本が築かれてるんですよね…。

なーんだか、またまたいつものように駄文をダラダラとカキコしちまいました。( ̄ω ̄;)

明日は昭和の日です。

昭和の良かった時代に思いを馳せてみたいですね~♪゜+。(*′∇`)。+゜

でわでわ、また次回お会いしましょー♪

素敵な昭和の日になりますように…。
♪ヽ(´▽`)/

若林愛でした♪
(=ΦωΦ=)ノ

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