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大和撫子・若林愛の戯れ言

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【昭和の日】



本日、4月29日は
『昭和の日』です。

和64年1月7日、昭和天皇の崩御により、天皇誕生日として存続出来なくなり、代わって『みどりの日』という祝日に命名されました。

昭和記念日にしようとして、野党が猛反対したんですよね…。
(*`Д´)ノ!!!

平成19年に、国民のたってからの希望もあり、みどりの日から
【昭和の日】になりました。

そこで今回は、昭和天皇のエピソードをカキコしたいと思いま~す♪
..._〆(゜∀゜*)

昭和天皇の皇太子時代、イギリスを訪問したとき、ロンドンの地下鉄に初めて乗車しました。
このとき改札で切符を駅員に渡すことを知らず、切符を取り上げようとした駅員ともみ合いになり
(駅員は、この東洋人が日本の皇太子だと知らなかった)、
とうとう切符を渡さず改札を出たそうです。
この切符は後々まで記念品として保存されました。

学習院時代、学友たちがお互いを名字で
「呼び捨て」
で呼び合うことを羨ましがり、
御印(昭和天皇の御印は『若竹』)から
「竹山」という名字を作り、呼び捨てにしてもらおうとしました。
(この提案に学友が従ったかどうかは不明デス)
…「竹山」と聞いて、カンニング竹山を思い出してしまい、思わずクスッと笑ってしまったアタシ…。
(´ψψ`)

昭和天皇時代、
昭和天皇 「あそこにあった植物はどうした?」
庭師 「雑草なら刈っておきました。」
昭和天皇 「雑草という名の草は無い、草花にはみな名前がある。」
(o⌒∇⌒o)
イイハナシですよね~♪


昭和天皇が硫黄島に行った時、この島自体が墓だからと言い、靴を脱いで上陸されたそうです…。

因みに小沢一郎はふつーに靴を履いたまま。

遺骨収集が完了してない地下壕跡に入る時も、靴を脱ぎ、裸足になられたそうです。


敗戦後は日本各地を巡幸された昭和天皇。

敗戦直後で、宿舎がままならず、列車の中や、学校の教室に泊まられたこともありました。

「戦災の国民のことを考へればなんでもない。十日間くらゐ風呂に入らなくともかまはぬ。」と仰られて、行幸は続けられました。

その時、復興に励む人々と親しく言葉を交わされたそうです。

福島県の常磐炭坑では、地下450mの坑内を歩かれ、40度の中を背広、ネクタイ姿で、上半身裸の鉱夫達を激励されました。深い坑内で万歳の声が轟いたそうです。
この時のお歌です。
「あつさつよき
磐城の里の炭山に
はたらく人を
ををしとぞ見し」


昭和天皇は病床で「もう、だめか」と言われたことがありました。
医師たちはご自分の命の事かと思いましたが、実は、 「沖縄訪問はもうだめか」
と問われたのです。
御巡幸の最後の地、沖縄に寄せられた昭和天皇の御心は、今上陛下によって平成5年に果たされました。


終戦後、マッカーサーに会った天皇は、こう語ったと伝えられています。

「私は、日本の戦争遂行に伴ういかなることにも、また事件にも全責任をとります。
また私は日本の名においてなされたすべての軍事指揮官、軍人および政治家の行為に対しても直接に責任を負います。
自分自身の運命について貴下の判断が如何様のものであろうとも、それは自分には問題ではない。
構わずに総ての事を進めていただきたい。
私は全責任を負います。」


昭和の日の今日だからこそ、昭和の激動の時代を支えてくださった昭和天皇について、考えてみたいと思いカキコしました。
((((((φ( ̄・ω・ ̄;)

今回はこの辺で締めますね~♪
゜+。(*′∇`)。+゜

でわでわ、また次回お会いしましょー♪
♪ヽ(´▽`)/

若林愛でした♪
(=ΦωΦ=)ノ

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